JUST FOR KICKS ジャスト・フォー・キックス
スニーカーの栄光の歴史、そしてその裏側に隠された秘密を描いた史上初のドキュメンタリー。
- 公開日
- 2007年5月19日(土)
- 撮影
- リサ・レオーネ
- 出演
- (ドキュメンタリー)
- 製作年
- 2005
- 製作国
- 仏=米
- 原題
- JUST FOR KICKS
- 上映時間
- 82
- INTRODUCTION
- スニーカーの栄光の歴史、そしてその裏側に隠された秘密を描いた史上初のドキュメンタリー・ムービー。本国アメリカでは劇場公開されなかったものの、世界各国の映画祭に出品され、二つの映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を獲得した。監督は本作が長編デビュー作となるティボ・ドゥ・ロンジェヴィル。彼はストリートカルチャーの熱心なファンであり、同時にスニーカー狂でもある。NIKEが年に一度行うバスケットボールにまつわる映画『バトルグラウンド・パリス』のプロデューサー兼ディレクターでもある彼は、1995年に自らの会社をパリに設立。NIKE、ヴァージン・レコーズ、ソニー・ミュージック、MTVなどをクライアントとしてエンタテインメントをクロスオーバーさせたクリエイティブな作品を作り続けている。そんな彼が長編デビュー作として選んだ題材がスニーカーであり、今まで培ってきた才能を惜しみなく発揮した結果、素晴らしい作品に仕上がった。
- STORY
- 70年代、ブロンクス地区の貧しいブレイクダンサーが“踊りやすい”という理由でスニーカーを選び、自己表現のために色を塗り、靴ひもを工夫した。80年代、伝説のヒップホップアーティストがデビュー。誰にも頼まれていないのに彼らは「My Adidas」という曲を作り、ライブでは観客がスーパースターという靴を頭上に掲げた。90年代、1試合に63得点という前人未到の記録を打ち立てた男はNBAのルールを破り、毎試合罰金を払ってエアジョーダンという靴を履き続けた。そして現代。類まれな才能とキャラクターを持ちカルチャーアイコンとなった女性は、靴を収納するために車を改造した。現在、スニーカーは世界中で大きな影響を与えている。RUN-DMC、マイケル・ジョーダン、ミッシー・エリオット、ジェイZ、50セントなど、スターたちのエピソードを軸に、ヒップホップアーティストやスポーツ選手と有名ブランドの戦略を暴き出す。しかしスニーカーの栄光に隠された秘密には、それだけでは語りきれない何かが存在していた。
- CASTING
- ●DMC ラッセル・シモンズの弟であるジョゼフ・シモンズ、そしてDJのジャム・マスター・ジェイと組んだ「RUN-DMC」のメインMC。本作でも描かれているが、彼らがadidasとのタイアップ契約を獲得したことがヒップホップアーティストとファッションメーカーの協力関係の雛形となっており、ヒップホップカルチャーの拡大発展の象徴とも言える存在。 ●ラッセル・シモンズ ヒップホップ・レーベル「デフ・ジャム」の創設者。1984年に大学時代の友人と共同で立ち上げた小さな会社は、今や音楽業界だけではなく、ファッション業界・TV業界・映画業界にまで進出巨大企業に成長している。彼の別会社であるラッシュ・マネージメントがプロデュースしたのがRUN-DMCとなる。 ●グランドマスター・カズ ニューヨーク、ブロンクス生まれ。4MC&2DJスタイルのグループ、コールド・クラッシュ・ブラザーズの一員。スタジオ録音はほとんどせず、ライブでのパフォーマンスに重きを置き、絶大な支持を得ていた。現在もDJとしての活動を続けており、レコードをコンスタントにリリースしている。 ●ミッシー・エリオット 1971年ヴァージニア生まれの女性ラッパー。歌手以外にも作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、女優などもしている。RUN-DMCの「Rock The Bells」をリミックスした1stシングル「ワーク・イット」は全米シングル・チャートで何と10週連続で2位というモンスター・ヒットになった。2005年にはアディダスとのコラボレーションファッションブランド「Respekt M.E」を立ち上げる。 ●フューチュラ 1955年ニューヨーク生まれ。現代のカンデンスキーといわしめたスプレーアーティスト、グラフィティアーティスト。60年代後半の第一期サブウエイグラフティシーンやキース・へリング、バスキアの活動に影響を受けアートワークを開始。70年代初期地下鉄にグラフィティーを描き始め注目され、1979年よりFUTURA2000の名で、世界各地で個展を開催。80年代にはTHE CRUSHのレコードジャケットなどを手掛ける。 ●ファボラス 1979年ブルックリン生まれ。全米で最も期待されている若手ラッパーの1人。デビュー・アルバム『GHETTO FABOLOUS』(2001)が全米初登場4位を記録し一躍注目された彼は、2nd『ストリート・ドリームス』(2003)で大ブレイク。全米初登場3位を記録した。